プロフィール
桐谷 真弓(きりたに まゆみ)
福岡市中央区在住 1男2女の母
「筋肉のある子は頑張れる」
「子供に必要なものは、気力*体力*集中力」など
ユニークな子育て論に定評があり、
本人主催の「笑顔の子育て学」「子育てサークル」参加者からは、
実践的でわかりやすいと好評。
今までの子育ての経験と知恵に加えて、フラワーエッセンス、アロマテラピー、自然療法、ISD個性心理学、サードメデスンなどの研鑽を積む
子どもの成績UPに止まらず、進路、家族の健康、お金の問題など、
総合的な「頼れる子育てアナリスト」として活動中
長男:公立中学➡県立修猷館高校➡東京大学➡東京大学大学院➡外資系企業勤務
長女:公立中学➡県立修猷館高校➡東京大学➡東京大学大学院➡大手メーカー勤務
次女:公立中学➡県立修猷館高校在学中(高校2年生)
私で何かお役に立つことがあれば嬉しいです。
生い立ち〜挫折と粘り強さ〜
第1回東京オリンピックの年に3男2女の第1子として生まれました。
私が生まれたころは、両親共働きでしたが、年子の弟が生まれたあと母は仕事を辞め専業主婦になりました。
幼いころは、第1子の私から5番目の末っ子まで7歳の年の差のなかに5人の兄弟がいたので、「TVで有名な○○さん家」のように毎日がサバイバルゲームの状態でした
とにかく、遊び相手、けんか相手には不自由しませんでした。
どちらからともなくちょっかいを出して、絡み合い
口が立つ私VSやんちゃな弟 最後は私が噛みつかれて大泣き、そんな私もしだいに知恵を付けて、嚙みつかれるようなヘマをしなくなりました。
時期にポコポコと妹や弟たちが生まれ、当然のように、いえ、強制的にチイママとして大活躍しました。
お節介のお世話したがりの下地はこのころに刷り込まれたようです。
気がつくと、「子育てに悩む母親」の相談相手にもなっていました。
そのことは今も変わらず、「頼りになるお姉ちゃん」のはずです。
(弟や妹たちにいいように使われているとも言いますが)
小学校在籍中のも、兄弟4人が同時に通学していた時期もあり、学校に行けば
「お前の弟が○○」「お前の妹が○○」と言われ
どんなに「あ~、一人っ子がいいな。羨ましい」と何度、思ったことか!
「おやつも分けなくていいし、お誕生日もクリスマスも独り占めだろうな~」と妄想ばかりしていました。
そんな欲求不満の小・中学生時代演じていたのは、超が付くほどの優等生!
今思い出しても、自分でも気持ちが悪いくなるくらい!嫌味な奴でした。
いつも(#^ω^)怒りMAXのプンプン中学生だった気がします。
そんな生活から逃げ出すには、「S高校に入るしかない」と猛勉強・・・
【見事 合格】
自分を褒めてあげた瞬間でした。
文字どおり「夢と希望と可能性」を抱いての高校生活がスタートしたはず。
体験するもの全てに「感動と驚きと開放感」を味わったのもひと月・・・・
「夢と希望と可能性」の高校生活のはずが、「何かが違う、ざわざわとした不安」
ここで初めての挫折を味わいました。
「すべてに、ついていけない!」
中学まではあんなにもできていたのに、あんなにも・・・・
今にしておもえば「井の中の蛙 大海を知らず」を自からやっていました。
自分の生きてきた15年分の生活の薄っぺらさを実感し、同級生や先輩の個性を眩しく感じました。
いろいろなコンプレックスを抱えながらも、元々の順応力の高さから、それなりに楽しい高校生活を過ごしました。
当たり前のように大学進学を希望する同級生の中で「早く独立したい!」と、一人だけ就職を選びました。
育児ノイローゼ?からの自然療法との出会い
「努力して、頑張って、偉くなる予定」が4年で退職。その後結婚、出産ごく普通の道を歩みました。
24歳で初めての出産、子育て。実家も遠く離れていたため、帰らぬ夫を当てにせず
ひとりで頑張って育児をしていたら、普通に「マタニティーブルー」「育児うつ」を発症。
妹に「お姉ちゃん、おかしい!おかしい!変だ!」と言われながらの数か月。
一時期の記憶がありません。
どうにかこうにか、家族のサポートを受けながら、母子家庭の様な元の生活を取り戻しました。
初めての子育て、知り合いもなく、インターネットもない時代 ただあるのは、
育児書のみ、とにかくありとあらゆる育児書やHow to本を読みまくりました。
「Aという育児では○」「Bという育児書では×」「アメリカでは○」「日本では×」
「どういうこと?」「なんで?どうして?」と読めば読むほど悶々とするばかり
迷いに迷って、悩みに悩んで 出した結論は
「自分の母性を信じる」「自分の直観を信じる」「自分のやり方で育てる」
「やり方がダメならば、やめればいい!」と、とてもシンプルになりました。
お金はありませんでしたが、時間はありましたので、カードを手作りしたり、バズルやシール、積み木、ビー玉・・・・いろいろ試行錯誤しながら、自分なりの知育教材モドキを作りわが子を使っての【人体実験】の連続。
日々の生活の中で「生活習慣、遊び方、言葉かけ」など、「子供が賢くなる生活」を工夫することはとても楽しいことでした。
今では、よくあんなエネルギーがあったな?と思うくらい熱中しました。
初めての子どもが男の子でしたので、自分だったら、こんなお兄ちゃんが欲しかったな~と「私の中の理想のお兄ちゃん像」に向かってまっしぐらの子育てでした。
本人には辛かった?かもしれませんが・・・
私の子育てのモットーは
「体力」「集中力」「根性」
これさえあれば、身に付けていれば、一生食っていける!家族を養っていける。
信じるものの強さです。
子どもが成長した今でも、私のモットーは、変わっていません
順調に進むかのように思えた、子育てでした。
ところが、夫の転勤、初めての同居、妊娠、出産と….環境の変化、生活時間の変化に体と心がついて行かず、またや、「マタニティーブルー」「産後うつ」
昼間から横になっていても、疲れは取れず、家事がすすまない苛立ちと「誰も助けてくれない!なんで私ばかり損をするの!」と被害妄想全開でした。
そんな時、10年以上年賀状のやり取りだけだった友人から、アロマテラピーとフラワーエッセンスの先生を紹介されました。今にして思えば、救世主、「地獄で仏」
「好きな香りがあなたに必要な香り」「あなたは、今、体と心が悲鳴をあげている」「充電したくても、コンセントさえ見つけられない状態」と言われたことを今でも鮮明に覚えています。
初めて、自分自身に目を向け、自分自身をいたわることの大切さをおそわりました。
徐々に回復していくと、いかにその時が「やばい!時」「やばい!状態」であったか
あのままの状態でいたら・・・・・本当に怖いことになっていたと思っています。
ワイドナショーネタになっていたかも。
そのことがきっかけになり、心と体の健康に気を使うようになりました。
それぞれの子育て
その後も、家族の生活スタイルの変化に合わせて、フラワーエッセンス、アロマテラピー、自然療法、などを使いわけています。
子育ては、親と子が健康だからできること、家庭が健康だからできること
「体が資本」を体感しました。
長男・長女は福岡市内の県立高校から、東京大学・同大学院に進み、今は社会人です。
次女は高校2年生 まだまだ子育て進行形の現役ママです。
正直、子育てには、お金もエネルギーもかかります。そのバランスをどこでどうとるのか?
大切なわが子をどう育てていくのか?
今の世の中 たくさんの選択肢があります
子どもは、生(なま)ものです。日々成長しています。
子どもは一人ひとり個性があります。
それぞれの家庭で、それぞれの育て方があります。
大切なことは、
あなたのお子さんにとって
心地よいバランスは何か?
自然に伸びる環境は何か?
楽しい学びは何か?
それは、お子さん一人ひとり違います。
それぞれの家庭で違います。
そのことを忘れないで下さい。
一度 あなたの子育てアナリスト・桐谷真弓に相談してみませんか?
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なんでも聞いてくださいね!
公開日:
最終更新日:2017/10/19